きざしノート

自分の為の日記用ブログです。

実家に帰りたいかどうかわからない

久しぶりに映画館で映画を観た。

3時間の大作だったがあっという間に感じた。

 

まあ解釈はいろいろあるのだろうが、

なんだか複雑な気持ち。

 

さっと出かけて映画を観られたという

満足感を味わいに来たのかも。

 

***

 

ゴールデンウィークの休みで

実家帰ってきたらと母に言われ、

パートナーにそれを伝えたら

このゴールデンウィークは私の実家に

行くもんだと準備してくれているが、

私は気乗りしていない。

 

なぜだろう。

 

別に不仲というわけでもなく、

連絡も取り合っている方だと思うし、

正月は妹夫婦も来るから

喜んで帰っていたと思う。

 

仕事についてとやかく言われないかどうか

不安なのかな。

親の言うことを気にしたくないなら

聞き流しといたらいいのに。

 

なんとなくパートナーと実家の両親が

結託して仕事を辞めさせにかかってくる

ような気がしているのかも。

 

ただ辞めたからって私の問題は

何も解決しない、それどころか、

仕事にしがみついているのに

その仕事を辞めたらせいで

心身のバランスを崩す可能性もある

ということを自分は恐れている。

 

徒労感を味わいつつも、

仕事があることに救われてもいる。

 

たとえば、

私の仕事ぶりを見ている同僚で

冷静に私の得手不得手について

見えていることを教えてくれるような人が

いたらなあと思うけど、思い当たらない。

 

まあ仕事の方で過剰にやっていることが

得意として見られてたら

都合悪い気もするが。

 

 

自分で、

これからの仕事とか人生とか

無理やり考えて、

行き当たりばったりでも

歩いていくしかないのかな。

 

パートナーや実家の母では近すぎて、

なかなか言うことを鵜呑みにできない。

 

日々ただ生きているだけで精一杯で

結婚した割にはこれからの

子どものこととか住む家のこととか、

仕事のこととか、

特に変えられてない。

 

旅行すら億劫に感じる。

もともと誰かと行くのを計画するのが

苦手ではあるのだが。

 

何かを変える努力ができているだろうか。

初心を思い出そうとしてみる

できれば仕事せずにのんびりしていたい

と思っているのに、

日々に追われて

定時さえも長いのに定時以上に仕事して

疲れてないわけがないのかも。

 

疲れの自覚があまりないというか、

もっと頑張らないとと思ってしまうのが怖い。

 

そもそもなぜ仕事してるのだろう。

 

お金がないと困るからか。

人の目が気になるからか。

暇つぶしか。

誰かの役に立ちたいからか。

 

ときどき楽しく感じる時もあるが、

この仕事に意味あるのかなと思ったり、

効率よくしたいのに効率よくできなかったり

自分の苦手なことや至らなさを

意識することが多くて徒労感がある。

 

やはり疲れているのか。つらいのか。

 

この仕事、状況が

皆にとって当たり前な訳ではないから、

もっと自分にとって負担の軽い仕事に

変わってもいいのだろうなあ。

 

今の仕事、周辺環境はのんびりしてて

いい意味でも悪い意味でも

物理的にも風通しがいいところは

気に入っているのだが。

 

毎日、高層ビル群に通勤したくはない。

 

いろいろ自分が嫌なことも分かっているし

こうありたいってのもあるのだから

もっとわがままに仕事を探してもいいのかも。

 

原点とか初心に立ち返りたいのだが、

どんなだったかな。

何を優先するか

私の生活の中で、

仕事の優先順位が高すぎるのかな

と思い始めた。

 

今まではそれでもよかったのかもしれない。

 

でも、

大切な友人に自由に会いに行けない、

パートナーを大切にできてないどころか

仕事で無理してるのではと心配される、

なんなら実家の家族にも心配される、

 

そこまでして今の仕事にしがみつく

意味があるのだろうか。

 

まあでも愛着もあるから

踏ん切りがつかないでいる。

一緒に働いている人に

元気をもらえているところもあるし。

 

別な仕事でも楽しくやっていける

腹づもりではあるけれど。

 

さて、どうするか。

どんな人でありたいか

自分がどんな子どもだったか、

どんな大人になりたかったか、

 

あるいは今どんな人としてありたいのか。

 

漠然とした問いだからかもしれないが

全然浮かばない。

 

***

 

友達からのメッセージに

元気をもらった気がした。

 

自分が思っているより

今の自分は元気ないのかもしれない。

 

近くに来ているという友達に、

仕事無理にでも休みとって会いに行けたらな。

行き当たりばったりでいいとしたら

悩んで泣いて困らせて、

そんな日を続けない為に何ができるか。

 

パートナーが言ってくれた

行き当たりばったりでもいいんじゃない?

って言葉が刺さった。

 

子どもがいてもいなくても

仕事を続けても続けられなくても

大切なのは

一緒に生きてこうと決めた人と

なるべく笑顔で穏やかに過ごせること。

 

とりあえず妊娠してもいいレベルまで

薬が減ったので、

子どもができてもいいように

準備したい。

 

部屋片付ける、

仕事を変える、

家事頑張るとか。

 

ほぼほぼ常日頃からやりたくてやれてない

ことじゃないかという気もする。

 

自分と向き合おうと、

今の診断がついている症状について

調べてたら、

シフト制じゃない仕事がいいらしいので

今探している次の仕事の方向性は

間違ってないようだ。

 

人と会う刺激をコントロールすることも

ひとつだそうだ。

 

いっぱいいっぱいにならなそうな

仕事に変わるべきなんだろうな。

 

あと、もっと近くで働けるところ。

 

ただ、「べき」に「したい」

が追いついてない。

忙しくしたくない

仕事休みたい、

仕事変えたいと思ってばかりなのに、

休めないし、

残業続きだし、

もうどうしたらいいのだろう。

 

無理やり休めばいいのか、

無理やり仕事変わればいいのか。

 

ひょんなことから

いつのまにか

変われたらいいのにな。

 

 

仕事が正当に評価されてなさそうなのにも

腹が立つ。

 

褒められたりしたいわけではないし、

自分がいなくなってあまりに困られても

こっちも困るのだが、

あたりまえだと思うなよと言いたい。

 

 

努めて客観的にみても忙しいけれど、

気忙しくならないように気をつけている。

 

睡眠はそこそこしっかり取る。

食事もあまりに暴飲暴食に走らないように。

 

 

頑張らないようにと言われているのに、

頑張ってしまっている。

もっと自分の為に頑張りたい。

 

まあでも、

なんだかんだと頑張ってしまってるのは

結局自分の為なのかなあ。

 

人に悪く思われたくないとかよりも

自分が自分を悪く思いたくないだけかも。

 

役に立っている自分でいたい、のか。

 

自己肯定感が少ないというか、

自活してないと、役に立ってないと

価値がないと思ってしまう自分が、

 

仕事を本当に辞めたり、

仕事を変えて役に立てないと感じる

立場になったり、

はたまた子育てや介護などで

社会から切り離されたりしたら、

どうやって自分に価値があるって

思えるのだろう。

 

何もしなくても価値のある自分

何もしなくても価値のある他者

と決めてみても、

腹に落ちたかどうかは怪しい。

 

自分には価値があると

細くともいいから長く思い続ける為に

何ができるだろう。

 

手帳や日記、ブログを書くことも

できることのひとつなのかなとは思う。

 

やりたいことってなんだろう

病院に行ったら

休んでください的なことを言われて

ほんとに仕事休みたくなった。

 

仕事の変えどきなのかもしれない。

 

仕事やらなくてよかったらやりたくない、

でも

打ち込める趣味がいろいろある訳でもなく

家事もやる気のある方でもなく、

仕事しなかったらほんとダメ人間に

感じそうだから仕事してる。

 

その割には一所懸命やってしまっている

と思うのだが。

 

ちょいと休んだ時期もあるけれど、

干支一回り以上は社会人として

暮らしている訳だが、

なにも身についてないように感じる。

 

今の仕事に関して

資格も持ってないわけじゃないけれど、

向上心はあまりないように思う。

 

今さらやりたいこととか考えても

と思いつつ、

転職サイトで今の職種に近くて、

気になる会社の応募ボタンを押そうとしても

この選択でいいのかなと考えてしまって

なかなか押せない。

 

かといって未経験の職種に挑戦するほど、

仕事に熱意もない。

 

消去法でもいいのだろうけど、

そんなんで受かるのかな。

まあ頑張りすぎないように言われているから

そのくらいでも受かるところがいいのかも。

 

頑張ろうと頑張らなかろうと

自分の人生な訳だし、

もう少しわがままになってもいいのかな。

 

***

 

このあいだの休日、

久々に手持ちの暮らしの本とか

読みあさっていた。

人の暮らしに興味があって、

そんな本をたくさん持っているのに、

家事能力が全然高くない私。

 

理想の暮らしがあってそれに向かっている

というわけではない。

ここまで生きてくると、

自分は本気でなりたいってわけでもない

と知っている。

 

人がどう考えているか、

人がどう暮らしているかを

見るのがすきなんだろうと思う。