金子哲雄さんが亡くなる間際に書き上げた本。
読み終えて、最後の最後に涙がこぼれた。
読んで何か得られた訳でない。
金子さんの本を読み終えると同時に、私の内側の何かが浄化された感じ。量が減ったような、軽くなったような、透明になったような。
読書を通してこんな感覚になったことが久しぶりだ。
最近のわたしの本の読み方は、利益重視だったなと考える。
何か知識付けてやろうと自己啓発本読んでみたり、他のジャンルでも、ここから自分は何が得られるだろうと考えたりしている。
そのくせ行動に繋げられないことが多くて自己嫌悪に陥ったり。
あるいは、貸してもらった本が為になるのは分かっているけど、どうにも読む気になれずに返せずにいたり。
そういうことが、積み重なっていたけど、この本を読んだことで、その重みが少し軽くなった気がした。
それだけで十分で、だからこそ自分は本を読むんだ。
あとは蛇足かもしれない。
金子さんが自分の心から打ち込めることにまっすぐに打ち込んでいる様子に、奥様とその道のりを歩いてきたことに素直な共感を覚えた。
私はただ文字を読むことが好き。
それを通して何かを知ることが好き。
そしてあわよくばそれを誰かに話して、ワクワクすることを考えることができたら嬉しい。
または、誰かに「こんなの見つけたよ」って伝えたい。
そして、その人と考えたことや、伝えた結果、何か良い方向にいくことの一助になれば良いと思うし、ならなくても、その一緒に考えたり伝えたり教えたりすること自体がそもそも楽しいんだなあ。
そういう打ち込めることが、オンリーワンの人もいれば、そうでない人もいる。
打ち込めることで、今のビジネスの波にうまく乗れる人もいれば、世の流れとは違くとも自分の進む道を信じて生きる人もいる。
打ち込めることに寝る時間以外全て費やして、結果会社を大きくしたり、社会貢献したりする人もいる。
打ち込めることが具体的な次元の人もいれば、大枠でその方向ならと言う人もいる。
なんかそんな感じなのかなあ。
フリーだろうと、組織で働いていようと、
わたしなら、目前に仕事が来たらそれを打ち込める仕事にしたいとおもってしまう。
駄目だ早起きしたらもうお昼寝したくなりました。
強制終了。