きざしノート

自分の為の日記用ブログです。

心を救われる人と、足を掬われる人

宇多田ヒカルが歌っていたように、

誰かの願いが叶う頃、あの子が泣いてるよ、
っという心境だ。


今まで生きてきた中での、周囲の反応を見ると、
私は平均よりは少し読み書きが得意だと思う。
「学校の勉強」も少しは得意なような。
暗記とか。
だからといって、生きやすいとはと思わない。
むしろ、真面目だとか、あなたは心配ないとか、期待してるとか、できる子とかそんなこと言われても嬉しくもなんともない。
ただ困るだけ。
もっと頑張るか、言う人から離れるか。
「学校の勉強なんて」という声を聞くたび、居場所が小さくなるように感じる。


最近、学習障害への理解を深めましょうとかいう話よく聞く。
IT機器が発達して、生きやすくなったとか。
なぜか複雑な気持ちになる。

理解を深めることは、
特定の人を同情したりすることでなく、
ひとりひとりを思いやることだと思う。

「学校の勉強」という物差しで、測れるものも測れないものも、受けとめること。
だと思う。