きざしノート

自分の為の日記用ブログです。

きざし051.なみだ

急に泣いてしまった。
そういえば最近、
泣き虫なのに泣いてなかった。

そのあとテレビの面白い映像に
くもりなく笑えた。

あの三年前のばあちゃんの葬式で
読んだ送る言葉は、
かっこつけたからじゃない。私の本心だ。
ばあちゃんは名前の通り
私にとってひかりだった。
本当に迷惑なときは叱ってくれて、
いつもはほんとに甘えさせてくれた。

全然ゆかりない土地に引越して
戸惑いながら暮らすことになっても、
そのあと自分でまた全く違うところで
住むことにしても、

祖父母の家や集落は
小さい頃と同じ場所にあって、
優しく迎えてくれる。

あと5年10年はそんな風だと
勝手に思ってた。
働くようになっても時折会いに行きたくて、
ここで働くの良いなって思った。
まあ実際はなかなか遠かったんだけど。

私にとっては、住んだことはないけど
一番のふるさとになりつつあった。

そんなことを思って、
ばあちゃんに言えなかった
言いたかった思いを口に乗せたら
涙が出た。


あれから、三年近くたつ。
ふるさとって実態としては
ほんとに残らないんだって深く思う。

土地は残ってる。今まで暮らしたどの地も
地球上からなくなった訳じゃない。
津波で流された訳でもないから、
風景が変わり果てた訳じゃない。

でも、生まれたころの地は記憶にもないし、
その後暮らしたところも
大学の頃行ってみたら違った。
面影がほとんどない。

その後暮らしたところも
もう何年も行っていない。
たぶんこの先も行かない気がする。

その後長く暮らしたところも数年前に
親も引っ越して馴染みはあるけれど
ふるさとでない。
友達はいるけれど。

そしてその後住んだ場所は
また縁がありそう。
ここはご縁があるのかな。
よく考えたら小学生から気になっていたし。

そして今の場所。
気に入っている。
良い眺め。良い食べ物。良い人たち。
離れる予定だけれど
万が一もしご縁があったら
また住むのも悪くない。

そんな風に、ふるさとは
本当に心の中にあるものなんだろうな。
実態として残っていなくても、
私の心の中にあるもの。

今片付けをしていて、
ものだって手元に残していれば
良い関係でいられるなんて絶対になくて、
良い関係のままで、良い思い出をもって
ものの為にも手放してあげることも
必要なんだろうなとしみじみ思う。

使い倒して、相棒ありがとう
ということもあれば、
ある時間を満たしてくれてありがとう
ということもある。

私の愛着は長くものに向けられてきた。
家やその街、周りの人に愛着を
持ち過ぎるとお別れするとき辛すぎるから。
ものはいつまでも持ってていいでしょって。

でも、
ものだって用が済んでいるのに、
そんな風にただ、心の穴を埋めるように
持っていられても困るよね。

そんなことを書いていたらさらに気付く。
お金さんにもそういう執着がある。

だかりこそしょっちゅう考えて過ぎつつ
しょっちゅう使って浪費してしまう。

ほんと周りの人々や、いる場所、
自分のもの、お金さん、と良い関係
をつくり続けたい。
出会いも別れも受け入れて。


written by iHatenaSync